宮崎駿。
世界が認めるアニメーション監督。
日本で最も知られる映画監督の一人。
その作品については、ほとんど説明不要だろう。
その作品についてでなく
その人柄、言動のアイドル的魅力について語る。
人気アイドルには、必ず仕掛け人、
敏腕プロデューサーが存在する。
モー娘のつんくしかり、AKB48の秋本康しかり。
当然、アイドル宮崎駿にも
そうした存在がいる。
言わずもがな、
スタジオ・ジブリのプロデューサー
鈴木敏夫だ。
大天才・宮崎も、
鈴木がいなければ、
ここまでスターダムに
上がれたかどうか。
鈴木に出会うまで、
宮崎は「売れない作家」
であった。
初監督作『未来少年コナン』は、
初放映時には視聴率は芳しくなく、
初劇場長編『ルパン三世 カリオストロの城』も
ヒットにならず。
おかげで当時の業界内では
「古くさい作風」の監督として
オリジナル企画は見向きも
されなかったそうだ。
アニメ・マニアのだけで評価される
知る人ぞ知る存在であった。
当時、アニメ雑誌の編集者であった
鈴木は、かつて宮崎がスタッフとして
関わった『太陽の王子ホルスの大冒険』
をリバイバルで見て、感激。
監督の高畑勲に取材依頼の電話をする。
高畑は自身がインタビューを
受けることを断るが、
代わりに話せる男がいると言って、
そばにいた宮崎に電話を替わる。
宮崎は開口一番。
「だいたいのあらましは、
横で聞いてました。
僕には語りたいことが
いっぱいあります。
16ページください」
初めて電話で話す相手への
あまりのずうずしい申し入れに
鈴木は、「なんだ、この人は」と
呆気にとられたという。
その後、宮崎の
映画作家としての才能と
ユニークな人柄を
直接、知った鈴木は、
「アニメージュ」という雑誌を
宮崎駿マガジンにしようと決め、
作品の特集記事や
対談&座談会記事を
バンバン組み、
次作への布石として
マンガ『風の谷のナウシカ』の
連載をはじめる。
『カリ城』や『ナウシカ』に感動した
中一の私は、宮崎アニメ情報を
読むために「アニメージュ」を購読。
誌面では、作品のことだけでなく
宮崎の人柄や思想が披露されるので
作品ファンをを通り越して
「宮崎駿という人間」のファンになってゆく。
中一の私にとって「アニメージュ」は
アイドル雑誌だった。
初めて、宮崎の顔を見たときはショックだった。
あんな素敵な作品を作った人が
カバみたいな顔をした中年オジサンだなんて!
私は、勝手に知的でスマートな二枚目だと
想像していたのだ。
それでも、その発言を読んでいていく
うちにだんだんと好きになっていった。
最初は抵抗があった顔も
いつのまにか愛嬌と親しみを
感じるものになっていた。
今、思えば、
アイドル・プロデューサー
鈴木の戦略にまんまと
はまっていたのだと思う。
正直なところ、「トトロ」以降は
作品的にはイマイチ乗れないものが
多かった。
だが、アイドルとしての宮崎の魅力から
逃れられない私は、言動を追い続けた。
宮崎発言の特徴のひとつ。
人の作品に容赦ない。
ヒット作だろうが巨匠だろうが、
気に入らないものの批判は
ズバズバ言う。
とうより、あんまり他人の作品を
褒める話をしない。
『影武者』を見て、黒澤は終わったと
思いました。
などと言っていたし、
『スター・ウォーズ』の批判を
好きな人に向かってしていた。
手塚治虫の追悼雑誌に
アニメーション作家、制作者としての
手塚の批判文を寄稿する容赦のなさ。
容赦ないのは、
直接の相手に対しても。
宮崎駿特集のムック本で
インタビュアー(学者)の
問いが気にいらなかったらしく
まったく話がかみ合わず、
最後には
「このインタビュー、
なんか意味あったんですかね」
なんていう
インタビュアーが気の毒になる始末。
鈴木に言わせると性格は
「そうとうワガママ」らしい。
ワガママがキャラ魅力になる。
宮崎は沢尻エリカの先を行っていた。
宮崎のワガママエピソード。
フランスに招かれたとき。
映画祭のスタッフが三つ星レストランを
用意したものの
「回転寿司が喰いたい」と言い放ち、
周囲を混乱させた。
ジブリに押井守を呼んで監督させ、
宮崎がプロデューサーを
務めるという企画が持ち上がった
ことがあったらしい。
しかし、宮崎は押井の企画案に
ことごとく反対し自説を主張。
押井が
「それじゃあ、いつものアンタの映画に
なるじゃないか!」と怒ると
「それのどこが悪いんだ!」と逆ギレ。
一晩中、ケンカして、企画中止。
宮崎は黒澤明と一度、
対談したことがあるが、
その時の
温厚で立派な巨匠然とした
黒澤の姿を
鈴木が思い起こしながら
「(宮崎に)もうちょっと巨匠らしく
立派になってもらいたいですね」
とボヤいていたこともあった。
どうも鈴木には、宮崎のキャラを
いじって楽しんでいるフシがある。
宮崎の師匠格のアニメーター
大塚康夫を自分のラジオに招いた時。
「若いとき、ミヤさんって、もてたんですか?」
などと聞き、
「いや、もてないですよ」と大塚が答えると
「なんでですか?」と追い打ちをかけ、
「顔ですね」と言わせ爆笑してたりする。
現場での傍若無人ぶりも凄いらしい。
たった一回、出勤時間に遅刻した
作画監督に腹を立てクビにしようとした。
あまりのことに鈴木もビックリ。
だって、制作スケジュールは
メチャクチャになって、
なんのメリットはないのだから。
押井守、曰く
スタッフの思想や生活までを
思い通りコントロールしないと
気が済まない人。
画一化が好きだということ。
押井は
「スタジオジブリ・クレムリン説」を
唱えていて
宮崎が書記長
高畑勲が大統領
鈴木敏夫がKGB長官と
揶揄している。
そのことは、
御本人も自覚しているらしく
「ぼくが政治家になったら
世の中、メチャメチャになりますよ。
映画監督やってるから、
まだ、何とか社会生活ができている」
などと自分の人格的欠点を認めている。
そうした強烈な支配欲が
尋常じゃない仕事量をこなす
パワーにつながっているのだろう。
作品世界に没入して作るタイプで
破壊シーンを作画している時には
「ワハハハ!ぶっ壊れろー!」
などと声を出しながら描くらしい。
高畑勲に
「麻痺的なファンタジー」と
作品を批判されて敵意をムキだし
「ぼくは、高畑さんみたいな映画を
作る気は全くないですね!」
と公の場で言っちゃったり、
とにかく、子どもっぽいというか
お茶目な人なんである。
先輩のアニメーター、
相棒のプロデューサー、
後輩の監督たちに
ネタにされ、いじられまくるのも、
ワガママで傍若無人だけど
どこか愛らしくて憎めない
魅力があるからだろう。
宮崎駿の思想の根底には
人間への絶望・・・ニヒリズムがある。
『ナウシカ』完成打ち上げの席で、
スタッフの女性に
「人類が滅んでしまうような映画なんて
作っていいんでしょうか?」
と聞かれて、大声で
「人類なんて滅んだ方がいいんだ!!」
と怒鳴り返したらしい。
宮崎アニメを
エコとヒューマンとラブで
楽しんでいる方も
逆に嫌いな方も、
是非、宮崎駿の違う味わい方を
お勧めします。
『ポニョはこうして生まれた』という
密着ドキュメンタリー(総時間12時間半!)は
レンタル屋で借りられます。
映画監督を取材した映像作品で
世界一、長いものでしょう。
専業アイドルでも、
こんな長尺DVD出せる人いませんよ!
次回は、第三弾
「キング・オブ・アイドル監督」こと
大林宣彦について言及します。
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