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[ 2024/05/02 08:19 | ]
表現について
先日、友人があるテレビドラマの出来の
あまりのひどさを嘆いていた。

そんなにひどけりゃ観なきゃいいのに
とも思いもしたが、

ある作品が、どうしてそんなに
ひどいのかということを考える
ことは、結構、面白い遊戯でもある。

友人の話をきよくよく聞いてみるに
どうやらそのドラマの作り手たちは
表現と説明を混同しているようだ。

表現は物事の説明でも、
なんらかの思想や価値観の伝達でもない。

創作術の初歩中の初歩である。

困ったことに、自称表現者の
多くがこのことをよくわかっていない。

だいたい、全ての人間は、
世界のすべてをを完全に
認識できやしない。

つまり、我々はほとんど
何もわかっちゃいない。

世界のごくごく一部を、なんとなく
ぼんやりと認識しているのみである。

他者はもちろん自己のことを
よくわかっていない。
というか理解する能力を
はなから持ち合わせて
いないのである。

話し合えば理解できる。
よく聞き、よく見れば理解できるように
なる。

というのは、人間のエゴが
生み出した幻想だ。

だから、コミュニュケーションが
うまく行かないのは
人間として当然であって、
そんなに悩むようなことでも
ないような問題なのだ。

こう言ってしまうと
なんだか悲観的なことを
言っているようだが、
こう考えてみてはどうだろう。

人間は
説明も理解も
常に不完全にしかできないが、

表現することだけは可能である、と。

なぜなら、表現には
完全、不完全という価値基準が
あてはまらないからである。

芸術の場以外、
日常生活でもこういうスタンスで
生きていけば、それなりに
面白くやっていけそうな気がする。

だけども、
教育の場や職場などでも
表現力の向上が叫ばれて
いるようだが、

どうも、なかなか表現と説明の
違いが認識されていないようだし、

先のテレビドラマの問題にも
あるように

本来ならば、
表現のスペシャリストとして
一般生活者をひっぱっていかなきゃ
いけないはずの芸術家の多くが
そのことに無自覚という

はなはだ困った状況なのだ。
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[ 2012/12/09 23:08 | Comments(0) | 雑想 ]

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