神SFというジャンルがある。
「神の如く凄いSF」という意味でなくて、
「神」をモチーフとしたSFのことである。
最近、『兇天使』(野阿梓・ハヤカワ文庫JA)という
小説を読んだ。
どういう小説かというと
地上に舞い降りた美しい天使の道行きを描く
きらびやかなファンタジーであり、
萩尾望都、竹宮恵子、山岸涼子、青池保子などの
少女漫画群にオマージュを捧げる捧げる嘆美文学であり、
ハーラン・エリスンばりの華麗な技巧を駆使した
めくるめくるワイド・スクリーン・バロックであり、
魔術師ジョン・ディー博士やロバート・フラッドをフューチャーする
蘊蓄と衒学趣味に満ちたオカルト伝奇ロマンであり、
独自の視点から再解釈した小説版『ハムレット』異説であり、
エルノシア城連続殺人事件の謎に挑む本格ミステリ小説であり、
人類と国家の問題を巨視的に考察する哲学小説でもある。
・・・・・・以上、巻末解説より抜粋。
なんか、すごそうでしょ?
美神アフロディットの子を殺した悪竜ジラフを
時空を股にかけて追跡する熾天使セラフィの物語と
脇役のホレイシォの視点を通した『ハムレット』世界が、
交互に描き出さる。
この二つの物語が、いかに交錯するのかと
読み進めていくと、あっと驚く種明かしが繰り出される。
こんな濃い内容が、
たった600頁ていどに収められているのだ。
文庫一冊で、広大な時空間を見渡したような、
哲学書や宗教書など何冊も読んだような
とってもお得な気分になる。
宗教や哲学の専門書を読むのは労力がたいへん、
入門書や解説書だと、わかりやすいけど、薄味である。
これが、「神SF」という物語形式であると、
事件の進行と共に、
神とはなんぞや?とか
人間の実存とは?とか
壮大なテーマが語られてゆくので、
まるで自分が、哲学者のように
大問題に立ち向かっているような
スリリングな気分にさせてくれる。
普段、宗教にも哲学にも縁のない
ちっぽけな欲望を追いかけている小市民に
とって「ちょうど良いサイズ」といえよう。
小市民だって、たまには
「神とはなんぞや?」
なんて大命題を考えてみたりしたい時があるんだい。
他、私の好きな「神SF」
神狩り(山田正紀・ハヤカワ文庫JA)
古代文字の解読に挑む情報工学者。
その文字は「人間の論理」では、
読むことができないものでった。
では、いったい、、その文字を
記したののは何者なのか?
百億の昼と千億の夜(光瀬龍・ハヤカワ文庫JA)
プラトン、シッターッタ(釈迦)、阿修羅王、
イエス、ユダたちが、過去から未来へと
時空を越え、超越者〈シ〉を追い求める。
果てしなき流れの果てに(小松左京・ハヤカワ文庫JA)
直接的な宗教色はほとんど無いが、
「宇宙の進化」を巡る壮大な叙事詩で
上記の「神SF」群と、ノリは通底している。
サマー・アポカリプス(笠井潔・創元社文庫)
SFではなく本格ミステリだが、
黙示録をモチーフとしており、
問題意識は、神SFと共有している。
連続殺人事件を背景に
熾天使的役割を背負わされた探偵役の
哲学青年と、「不在の神への信仰」という
重い命題に苦悩する女性との
思想的闘争が展開される。
『兇天使』を読み終えて熱が醒めやらぬので、
仏教をモチーフとした
『上弦の月を喰べる獅子』(夢枕獏・ハヤカワ文庫JA)
を読み始たところです。
人生に絶望し、螺旋にとりつかれたカメラマンと
これまた螺旋に取り付かれた岩手の天才詩人の
意識が融合し、螺旋づくしの奇怪な世界に
迷い込み、「私は何者か?」と問いかける
超絶な内容に、頭がクラクラしております。
PR
最近、マンガ研究本を読み漁っていた。
その中から、印象に残ったものを紹介しよう。
『手塚治虫 原画の秘密』(新潮社・とんぼの本)
手塚治虫がどのように原稿を描いていたのかを
原画を通して、分析している。
マンガを描き始めて、悩むのが、
実際、どこを落としどころにして「完成」とするのか
見極めることだ。
マンガの神様、手塚も試行錯誤を繰り返している。
『映画式まんが家入門』大塚英志(アスキー新書)
日本の現代マンガは、いかにして「映画的」となったのか?
・・・を歴史的に検証する。
戦前からマンガは映画を意識していたが、
「のらくろ」が舞台的になったのは、なぜか?
大正アヴァンギャルドと田河水泡の関係、
アニメーションとドキュメンタリーの関係、
マンガとモンタージュ理論の関係、
そして手塚治虫がいかにして「映画らしさ」を戦後マンガに導入したのか?
目からウロコの刺激的な視点で、現代マンガの謎を紐解く。
まるでミステリー小説を読むようなスリリングさがある。
「現代マンガ」って、映画やアニメーションよりも
歴史が若いメディアなんだな~と気がついた次第。
『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』夏目房之介(筑摩書房)
戦後、手塚が開発した新しいマンガの手法、実験。
それに影響された作家たちとのせめぎ合いの中で、
戦後マンガは、どのように進化・発展していったのか。
そもそもマンガは、なぜ面白いのか?・・・・・・その原理にまで
つっこんでいて面白い。
こおいうものを読んでいて、楽しいのは
最近では使われなくなった手法を知ることだよね。
歴史を知るとは、捨て去ったり忘れ去ったりしたものを
再認識するということでもある。
りゅうじん
その中から、印象に残ったものを紹介しよう。
『手塚治虫 原画の秘密』(新潮社・とんぼの本)
手塚治虫がどのように原稿を描いていたのかを
原画を通して、分析している。
マンガを描き始めて、悩むのが、
実際、どこを落としどころにして「完成」とするのか
見極めることだ。
マンガの神様、手塚も試行錯誤を繰り返している。
『映画式まんが家入門』大塚英志(アスキー新書)
日本の現代マンガは、いかにして「映画的」となったのか?
・・・を歴史的に検証する。
戦前からマンガは映画を意識していたが、
「のらくろ」が舞台的になったのは、なぜか?
大正アヴァンギャルドと田河水泡の関係、
アニメーションとドキュメンタリーの関係、
マンガとモンタージュ理論の関係、
そして手塚治虫がいかにして「映画らしさ」を戦後マンガに導入したのか?
目からウロコの刺激的な視点で、現代マンガの謎を紐解く。
まるでミステリー小説を読むようなスリリングさがある。
「現代マンガ」って、映画やアニメーションよりも
歴史が若いメディアなんだな~と気がついた次第。
『手塚治虫の冒険 戦後マンガの神々』夏目房之介(筑摩書房)
戦後、手塚が開発した新しいマンガの手法、実験。
それに影響された作家たちとのせめぎ合いの中で、
戦後マンガは、どのように進化・発展していったのか。
そもそもマンガは、なぜ面白いのか?・・・・・・その原理にまで
つっこんでいて面白い。
こおいうものを読んでいて、楽しいのは
最近では使われなくなった手法を知ることだよね。
歴史を知るとは、捨て去ったり忘れ去ったりしたものを
再認識するということでもある。
りゅうじん