平田オリザの戯曲『東京ノート』を読んだ。
で、
平田がこの傑作を書く契機となった
小津安二郎監督の映画『東京物語』が
観たくなった。
観るのは十数年ぶり。
若い頃は、決してつまらくはないが、
騒ぐほどおもしろいというほどではない
といった印象だった。
ドラマに興味が薄かったのだろう。
他者や死といったものにも鈍感だったのだろう。
脳天気だったのかもしれない。
『東京物語』は、重いドラマの映画である。
その重さは前面・全面には出てこないので
人の生死に鈍感な者は気がつかない。
気がつく者だけにわかってもらえばいいと
云わんばかりに
場面の背後や場面と場面の間に
注意して観ていないと気がつけない
符牒が忍び込まされている。
それは、日常生活の背後にある
絶対的な宿命・・・・・つまり、死である。
そんなことは、四六時中意識していては
やっていけない。
だから、皆、忙しく働き、
生活に埋没するしかない。
登場人物が発する言葉は、
それだけで耳にする分には
たわいもない日常的なものばかりだ。
だが、構成や編集といった
映画技法によって再構築された
世界では、それらがひどく劇的なるものに
変貌する。
原節子の「私、ずるいんです」しかり
笠智衆の「今日も、暑うなる・・・」しかり
繰り返される日常。
繰り返される言葉。
何度も何度も、同じような構図が
繰り返されるも、それらは決して
同一ではない。
時間は確実かつ残酷に流れ、
人間は、そのことに、戸惑いつつ
ただただ耐え忍ぶことしか
できない。
小津は決して
日常賛歌も人間賛歌を
謳っているわけではない。
この世界をどう堪え忍ぶか
そんなヒントを
小津映画は示唆してくれる。
で、
平田がこの傑作を書く契機となった
小津安二郎監督の映画『東京物語』が
観たくなった。
観るのは十数年ぶり。
若い頃は、決してつまらくはないが、
騒ぐほどおもしろいというほどではない
といった印象だった。
ドラマに興味が薄かったのだろう。
他者や死といったものにも鈍感だったのだろう。
脳天気だったのかもしれない。
『東京物語』は、重いドラマの映画である。
その重さは前面・全面には出てこないので
人の生死に鈍感な者は気がつかない。
気がつく者だけにわかってもらえばいいと
云わんばかりに
場面の背後や場面と場面の間に
注意して観ていないと気がつけない
符牒が忍び込まされている。
それは、日常生活の背後にある
絶対的な宿命・・・・・つまり、死である。
そんなことは、四六時中意識していては
やっていけない。
だから、皆、忙しく働き、
生活に埋没するしかない。
登場人物が発する言葉は、
それだけで耳にする分には
たわいもない日常的なものばかりだ。
だが、構成や編集といった
映画技法によって再構築された
世界では、それらがひどく劇的なるものに
変貌する。
原節子の「私、ずるいんです」しかり
笠智衆の「今日も、暑うなる・・・」しかり
繰り返される日常。
繰り返される言葉。
何度も何度も、同じような構図が
繰り返されるも、それらは決して
同一ではない。
時間は確実かつ残酷に流れ、
人間は、そのことに、戸惑いつつ
ただただ耐え忍ぶことしか
できない。
小津は決して
日常賛歌も人間賛歌を
謳っているわけではない。
この世界をどう堪え忍ぶか
そんなヒントを
小津映画は示唆してくれる。
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