音楽を聴きに上野公園の東京文化会館へ。
ついでに横の国立西洋美術館の常設展を鑑賞。
初めて、モネの「睡蓮」の現物を観た。
これまで、印刷では、ほどほどにキレイだな~
という程度の印象しかなかったけど、
生はすごかった。
ビールは生より瓶のほうが良いけど、
絵画は生ですな。
14世紀からの西洋美術を順に観てゆくので
一際、ハッとさせられたのかもしれない。
細部をよくよく観ると、かなり荒いタッチ。
写真で言うと、ピンボケな感じ。
ああ、これは夢の映像だなと思った。
夢と云えば、
人によって睡眠時に観る夢のスタイルは、
それぞれかなり違うらしい。
黒澤明の夢は、とても鮮明でフルカラーで
あったらしい。
なるほどと、思う。
彼の映像は、
望遠レンズでパンフォーカスが中心。
パンフォーカスというのは、対象すべてに
焦点が合っている状態。
望遠レンズは、焦点が合っている部分は
くっきりシャープにはなるが、
被写界深度(焦点が合う幅)が狭い。
つまり望遠レンズで
全体に焦点が合うようにするのは、
かなりの光量が必要になり作業は超大変。
黒澤映画が、
他より一際力強い印象を与えるのは、
そうした望遠パンフォーカスによる映像の力に
支えられている。
黒澤の望遠・パンフォーカス好みは、
夢にも表れているのだ。
私などは、
そんなくっきりした夢は観ない。
フォーカス甘めの、色もかなり褪色気味。
だからかどうか、
若い頃は、黒澤の明瞭さには、
あまり親近感が持てなかった。
他にこんな人もいるらしい。
まったく映像のない夢しか観ない。
喩えて云うと「ラジオドラマのような夢」だそうだ。
その人は、日常生活でも
映像喚起能力がたいへん弱いらしく、
論文、批評はスラスラ読めるが、
小説を読むのは、たいへん手間がかかる。
情景を想い浮かべられないと、小説は
楽しめない。
ちなみに、その人は評論家を生業としている。
夢の中は、
本当の自分を知るための最適の場所なのかも。
えっ、自分ってこんなことを考えていたのか!
がーん、自分ってこんなことを欲していたのか!
夢から醒めて、
意外な自分に愕然としてしまったことって
ないですか?
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私、大のゴジラ好きです。
近頃、マンガ界の巨匠たちが
昔に描いたゴジラ・マンガを読むことが
できるようになって、本当に幸せです。
杉浦茂と水木しげる。
マンガ界の至宝。
日本の国宝。
世界の遺産。
このお二人とも、
ゴジラ・マンガを描いている!
杉浦御大バージョンは、
オフィシャル作品で、
基本ストーリーは映画に
則っておられますが、
超シュール&超ナンセンスな
スギウラ・ワールドで
しっかり煮詰められておられます。
良い意味で、
しっかりコドモ・マンガに仕上がっており、
ゴジラもリアルかつ、たいへん可愛らしい。
読後、たいへんシアワセになります。
水木御大のは、貸本時代のもので、
間違いなく無許可・海賊版でございます。
『大怪獣ラバン』
(ラバウルからのネーミングか?)
南方の島に棲息するゴジラの血を
輸血された男が、怪獣ラバンになってしまう
という変身奇譚。
後の『ゲゲゲの鬼太郎』の「大海獣」の原型。
御大の南方戦線体験の恨み辛みが
色濃く出ている作品です。
水木御大は、映画『ゴジラ』にたいへん感銘を
受けたそうで、これ以前にも紙芝居で
『人間ゴジラ』というのを作られているそうです。
昭和29年の映画『ゴジラ』は、
水爆実験で蘇った怪獣が、夜の東京を
破壊してゆくという
当時、まだ生々しく残っていた
戦争・空襲の記憶に
裏打ちされた作品です。
ある戦後生まれの作家が
面白いことを言ってました。
当時、僕らの親の世代は、
空襲の再来として、あそこに
恐怖を感じ取っていたけど、
幼少の僕らは、また違う感慨を
抱いていた。
欺瞞に満ちた戦後社会を破壊する
ゴジラに喝采を送っていた。
戦中派の水木御大は、どう感じていたか。
公開時、まだ作品が売れず、
極貧生活を送っていた御大は、
戦後世代と同様に、
金持ちたちが作った市街を
ぶっ潰すゴジラに胸がすく
想いをしていたらしい!
いや~、なんてフレッシュな感性!
その後、子どもたちが夢中になる
作品を続々と生み出すのも当然っすね。
(現代の子どもにも通用している!)
『怪獣ラバン』は、ラバン撃退の為の
ロボ怪獣も出てきて、御大の先見性を
うかがい知ることができる傑作です。