映画『ウオッチメン』を観ました。
アメコミヒーロー映画として、
マイベスト級の完成度。
設定がたいへん面白く、
原作が読みたくなりました。
さて、日本でもマンガ原作の映画って
多いですよね。
私としては
あまり積極的に観ないジャンルです。
理由1
そもそも好きなマンガの映画化が少ない。
理由2
マンガとして面白いんだろうけど、
「これを映画にしてどうすんの?」
と思ってしまうものが多い。
マンガと映画の面白さってかなり別物。
マンガのストーリーや設定を、そのまま実写に
置き換えると、かなりイビツなものになりやすい。
一見、現実的・日常的な設定のマンガでも
かなり無茶設定がある。
マンガのキャラクターは、絵である。
記号的な存在・・・
記号的な身体しか持ってない。
だから、無茶が通るのであって
同じことを生身の俳優が演じると
かなり痛々しい。
あだち充の『タッチ』
超ヒットマンガですね。
何年か前に、映画化されましたね。
私はテレビ放映された時に、
10分ほど観ました。
お隣どうしの幼なじみの男女の青春ドラマ。
親公認、家の裏庭に、
彼ら専用の勉強小屋を与えられている。
はっきり言って、マンガでも
かなり恥ずかしい設定だ。
小学生の時は、高校生っていいな~って
ぼんやり憧れていたけど、
実際、思春期に入ってみると、
「いやいや、これはありえんだろ~」と
思ったもんだ。
主人公達は、けっこう達観した性格で
ちょっとドキドキはあるけど、
基本、さわやかにクールに青春を謳歌する。
いやあ、思春期まっ盛りで、
そんな冷静にいられますかってんだ。
まだ、それでも、記号的なマンガキャラだと
現実的な生々しさが、都合良くオミットできる。
が、実写映画だと、そうは問屋が卸さない。
実際の10代半ばの男子女子が、
その恥ずかし設定に放り込まれると、
観るにたえないほどに、恥ずかしい。
「お父さん、お母さん、これは、まずいっしょ!!」
と叱ってやりたくなった。
勉強小屋は、中学上がる前に閉鎖!!
映画で良かったよ、まったく。
あんまり恥ずかしいので、
チャンネル変えました。
手塚治虫『どろろ』の映画版も
キツかった。
孤高の剣士、百鬼丸に妻夫木聡。
共に旅をする泥棒の少年、どろろが、
なぜか柴崎コウ。
影のあるヒーローに妻夫木ってのも、
たいがいだが、
無理矢理、年齢設定を上げて柴崎コウ
とは、本当にヒドイ。
(原作でも実は女の子でしたという
展開があるので、性別的に間違って
ないとしても)
どろろは、やんちゃ小僧キャラなのだが
柴崎どろろが、
「オイラは、どろろだーいっ」って
やんちゃ演技で出てきた時は、
心底、心が冷たくなり、観るのを止めた。
「むりくりやんちゃ小僧演技をする痛いお姉さん」に
しか見えなかった。
柴崎コウがかわいそうになったよ。
キャラ設定を変えるなら変えるで、
演技プランは、俳優に合わせて
映画オリジナルにしてしまえばいいのに
中途半端に原作にひきずられて大惨事。
悪口言ってばっかりもなんなんで、
数少ない成功したマンガ実写化映画の
話をします。
『美味しんぼ』
云わずと知れた
グルメ・マンガのパイオニアにして金字塔。
父親が好きだったので、
特に好きでもなかったが結構読んでいた。
1996年に松竹で映画化されました。
主人公、山岡士郎を佐藤浩市。
山岡の父親で最大のライバルである
海原雄山に三國連太朗。
親子でライバルという役柄を、
実際に親子である佐藤と三國で具現化。
物語上の対決と、実際の演技合戦が
リンクしている。
原作では、グルメ蘊蓄の披露合戦が
メインの見せ場だが、映画化にあたって
潔くバッサリと割愛し、親子の葛藤のドラマを
掘り下げることに重点を置いている。
原作の山岡と雄山は、悪く云えば、
グルメ蘊蓄を語らせるためのマシーン
にしか過ぎず、性格描写はかなり表面的。
そこを、原作には無いオリジナルの
エピソードやディティールを積み重ねることで
しっかり実在感のある人物に仕立てあげている。
特に海原雄山。
本職の陶芸家としての面を、ちゃんと描く。
自分の個展で、
真剣に作品に見入っている
しがない中年サラリーマンに
あっさりプレゼントする。
周囲も貰う方もたいそう驚くが、本人は平然としている。
(権威や名声にとらわれずに
作品の価値がわかってくれる人には
敬意を払うという芸術家の心情)
河原で、形の良い石を発見し、心を奪われ
取り乱しながら、近寄っていく。
芸術家としての純粋さと狂気を、
見事に表現しており、
「この人、本当に一流なんだ」と思わせてくれる。
だから、食に対しても妥協しない姿勢に
説得力があり、
そんな偉大な父親に、反抗するドラマも
盛り上がる。
衣裳も、マンガのような記号的な芸術家然とした
ものでなく、洋装やラフな場合も見せる。
ようはコスプレになってない。
TVドラマ版では、江守徹や松平健がマンガと
まったく同じ格好でやっていたが、
コントにしか見えなかった。
三國連太朗は、原作のキャラを直接模倣せずに、
海原雄山の元になった
北大路魯山人のほうを参照し、役作りを行ったらしい。
こおいうのを本物の「換骨奪胎」というのでしょう。
三國自身も、演技と映画作りに妥協しない
大物中の大物。
彼の大物感が、役とうまく合致していて
連太朗映画としても、ベストな出来だと思います。