先日、浅草で「鳥獣人物戯画」柄の風呂敷を
買いました。
連れが絵を見て、「かわいい」と言ってました。
その人は、私より十歳程、若い男子で、
鳥獣戯画のことを知りませんでした。
ふむ、若い人はこの絵を「かわいい」と表現するのか。
たしかに楽しげに戯れるウサギやカエルは、
かわいい。
キャラものの世界に手を染めてから数年・・・・・
現代日本は、
なんで、こんなにもなんでもかんでも
かわいいキャラにしてしまうのか・・・・・・
と思っていましたが、
決して、今にはじまったことではないんですな。
最近、「ふしぎなキリスト教」つう本を読んでますが、
一神教の世界観を分かりかけてくると、
逆に、改めて、私たち日本人の文化が多神教の世界観で
形作られているんだなと感じます。
一神教では、当然ながらGODが一番、偉い。
最強で最高の存在です。
多神教では、誰が一番ってことは無い。
それぞれの持ち分があって、それぞれの
仕事をしてるってカンジです。
神様も、完璧な存在ではなく、中には
駄目な神様もいます。
神との契約、戒律などで縛られる
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
世界観からしたら、
かなり、ゆる~い価値観で成り立っています。
なんでもかんでも神が宿るという感性が、
なんでもかんでも妖怪にすることや、
なんでもかんでもキャラにすることに
つながっているんだな~
「ゆるい→かわいい」となり、
それが玉石混合いっぱいあるのが好きというか
当たり前って感覚なんだろう。
AKB48などの集団アイドルが人気になるのも
多神教的価値観ゆえかとも思ってきた。
ああいう集団アイドルって他の国にあるの?
買いました。
連れが絵を見て、「かわいい」と言ってました。
その人は、私より十歳程、若い男子で、
鳥獣戯画のことを知りませんでした。
ふむ、若い人はこの絵を「かわいい」と表現するのか。
たしかに楽しげに戯れるウサギやカエルは、
かわいい。
キャラものの世界に手を染めてから数年・・・・・
現代日本は、
なんで、こんなにもなんでもかんでも
かわいいキャラにしてしまうのか・・・・・・
と思っていましたが、
決して、今にはじまったことではないんですな。
最近、「ふしぎなキリスト教」つう本を読んでますが、
一神教の世界観を分かりかけてくると、
逆に、改めて、私たち日本人の文化が多神教の世界観で
形作られているんだなと感じます。
一神教では、当然ながらGODが一番、偉い。
最強で最高の存在です。
多神教では、誰が一番ってことは無い。
それぞれの持ち分があって、それぞれの
仕事をしてるってカンジです。
神様も、完璧な存在ではなく、中には
駄目な神様もいます。
神との契約、戒律などで縛られる
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
世界観からしたら、
かなり、ゆる~い価値観で成り立っています。
なんでもかんでも神が宿るという感性が、
なんでもかんでも妖怪にすることや、
なんでもかんでもキャラにすることに
つながっているんだな~
「ゆるい→かわいい」となり、
それが玉石混合いっぱいあるのが好きというか
当たり前って感覚なんだろう。
AKB48などの集団アイドルが人気になるのも
多神教的価値観ゆえかとも思ってきた。
ああいう集団アイドルって他の国にあるの?
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先日、最近よく通っているご飯処、
まんま みじんこ洞にて行われた
妖怪絵師によるトークイベントなるものに
行ってきました。
改めて思ったのは、妖怪というモノは
たいへん曖昧なカテゴリーだなということです。
そもそも「モノ」っていいのかどうか。
曖昧・・・・・・・つまり、いい加減、ユルいということです。
京極夏彦が、
現代では、妖怪はキャラ化していると指摘していましたが、
そーなると、妖怪は元祖・ゆるキャラということになります。
つーか、ゆるキャラが、妖怪の現代版ってことか。
たいがい地方発だしね~。
みうらじゅんの「ゆるキャラ」というカテゴライズは、
水木しげる大先生が、戦後、妖怪をキャラクター化した
行為に近いのかな?
いろんな妖怪がありますが、
ユルいどころではありません。
「びろーん」とか、ほとんど意味を成してないのも
あります。
妖怪は、なんでもあり。
なんでも、妖怪になる。
なんでもかんでも妖怪にしてしまう感性って
ダジャレ好きな感性に近い気がする。
みなさん、よーく考えてみてください。
町の至るところにダジャレが溢れています。
商品名やキャラクター名にダジャレの多いこと!
これって、国民性?
いつか妖怪とキャラとダジャレの関係性について
考察してみたいと思います。
日本人の言語感覚の本質に迫れるのではないかと
うっすら直観しています。