先日、最近よく通っているご飯処、
まんま みじんこ洞にて行われた
妖怪絵師によるトークイベントなるものに
行ってきました。
改めて思ったのは、妖怪というモノは
たいへん曖昧なカテゴリーだなということです。
そもそも「モノ」っていいのかどうか。
曖昧・・・・・・・つまり、いい加減、ユルいということです。
京極夏彦が、
現代では、妖怪はキャラ化していると指摘していましたが、
そーなると、妖怪は元祖・ゆるキャラということになります。
つーか、ゆるキャラが、妖怪の現代版ってことか。
たいがい地方発だしね~。
みうらじゅんの「ゆるキャラ」というカテゴライズは、
水木しげる大先生が、戦後、妖怪をキャラクター化した
行為に近いのかな?
いろんな妖怪がありますが、
ユルいどころではありません。
「びろーん」とか、ほとんど意味を成してないのも
あります。
妖怪は、なんでもあり。
なんでも、妖怪になる。
なんでもかんでも妖怪にしてしまう感性って
ダジャレ好きな感性に近い気がする。
みなさん、よーく考えてみてください。
町の至るところにダジャレが溢れています。
商品名やキャラクター名にダジャレの多いこと!
これって、国民性?
いつか妖怪とキャラとダジャレの関係性について
考察してみたいと思います。
日本人の言語感覚の本質に迫れるのではないかと
うっすら直観しています。
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小松左京追悼ムック「完全読本 さよなら小松左京」を購入。
オマケは・・・な、なんと手塚治虫との対談CD!!
さっそく聴いてみました。
冒頭から映画『さよならジュピター』をヨイショする手塚という
過激な内容から始まります。
よくもまぁ、あの世紀の大失敗作を
あれだけ褒めることができるものだと感心します。
褒め殺し?
いや・・・・・・・自身も映像制作に手を染め、その苦労もよく知っており、
作品の出来不出来は置いておいて、小松のSF映画に対する
心意気を汲み取ったということか?
いや、過剰なサービス精神ゆえか。
手塚先生、褒めるにしてもけなすにしても、
だいだい、言い過ぎる。
自分の昔の話を振られると
とたんに「昔の話はよしましょう」と逃げ腰になったり、
新井素子の人気(対談は1984年収録)に嫉妬したり、
手塚先生、かなりカワイイです。
SF、マンガ、映画、アニメーションの話を縦横無尽に繰り広げる。
二人とも、どんどん早口に。
ほとんど、オタクの知識自慢合戦。
なんて楽しい対談だ~。
今までに接した対談で最高かも。
『新宝島』がなぜ「新」なのかという話に驚愕!!