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今回はマンガのお話ではありませんが、
作劇術のお勉強ということで、ご了承ください。
ゆえあって
「列車パニックアクション」こそ
映画の最高形式ではないか・・・・・・・
と思い当たった。
その理由
1・限定された空間は、濃密な人間ドラマが生まれやすい。
ドラマは見知らぬ他者が交わることで活動する。
特殊な状況でいやがおうにも関係が濃密になる。
2・移動する乗り物の躍動感。
景色の変化は、映像を見る快楽の根源である。
3・他の乗り物に比べて速すぎず、遅すぎない。
客船だと旅情感はたっぷりあるが、スピード感に欠ける。
飛行機だとスピード感はあっても、旅情感が出にくい(風景の変化も含めて)
つまり移動する列車は
緊張感ある人間ドラマと
躍動的なアクションを
同時に描くことができる
最高の舞台なのだ。
というわけで
『暴走特急 シベリアン・エキスプレス』
なる映画のDVDを借りた。
ジャケットは、暴走するシベリア特急の絵。
いかにもB級パニックアクション!という風体。
ワクワクしながら、DVDをプレーヤーにセット。
冒頭。
雪降るサハリンの港町。
死体があるボロ小屋を、捜索する
警官達のシーンからはじまる。
サスペンスの予兆・・・なかなか良い滑り出しだ。
一転して、いかにも人の良さそうな
アメリカ人夫婦(30代ぐらい)が
シベリア鉄道の列車に乗り込む。
当然ながら
列車が動き出す。
巨大な鉄のかたまりが、
ゆっくりと動き出す。
これだけでも
「さあ、これから物語が動き出すぞ~!」
という高揚感がある。
それから、
いわくありげな若いラテン系カップルと
相部屋となる。
この人たちが、
事件に巻き込まれるのか・・・・・・
さあて、どんな事が起きるんだろう(ワクワク)。
淡々としたそれぞれの人物描写が続く。
20分、30分と経つが
テロリストの襲撃も
列車の故障の起こらない。
なんだか嫌な予感がしてくる・・・・・・。
「もしやジャケットに騙されたか!?」
ドラマは人物たちの裏側が見えてくる
シリアスな展開になってゆく。
30代奥さんに妙なモーションをかけるラテン男・・・・・
奥さんも、なんだかドキドキ・・・・・・
え?なに、その恋愛サスペンス展開???
注文していなんですけど!?
やはり「ジャケ騙し」だったのかと
途中で見るのをやめようかと思うも、
演出がとても丁寧で、この先、この人達の運命は
どうなるんか?と気になって止められない。
後半は、超意外なサスペンスな展開で
3回ぐらいは「えーっ!!」と声をあげてしまった。
意外な人が、やむない殺人を犯してしまう。
殺されたと思っていた人が、まったく無事だった。
思わぬところで、ある人が死にそうになる。
結局、
この映画は列車パニック・アクションでは
なかった。
つまらないことはなく、かなり面白かった。
しかし、期待していたものが見られなかった
不満も残った。
大事件解決でスッキリ!!
したかったのに・・・・・・
非常に後をひく映画だった。
まぁ、優れた作品であるからなんだけどね。
ヒジョーにビミョーな気分である。
今日こそは!と、
スティーブン・セガール主演『暴走特急』と
『暴走超特急 ヨーロッパ・エスクプレス』というのを
借りてきた。
はたして、
「列車パニック・アクションこそ最高の映画形式」という
私の思いつきは証明されるだろうか?
そういや、
レンタル屋の「パニック・アクション」のコーナーには
旅客機ものは多数あるのに
列車ものはわずかだった・・・・・・・。
もしかしたら
「旅客機パニック・アクション」のほうが
最高の形式なのかも!?
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ここ最近、
藤子不二雄作品の
面白さを、あらためて
噛みしめている。
というか
あまりの巧さに
「すげえーっ」と
うなっている。
幼稚園から小四ぐらいまで、
藤子不二雄ワールドに
どっぷり浸かっていた。
だが、年を重ねるにつれ
興味の対象は変わってゆく。
藤子不二雄に対する憧れも
薄くなり、いつのまにか
子どもの時の思い出になってしまい
現在形で意識する対象ではなくなった。
20代の頃には、
ほとんどたわいもないものとして
軽んじていたような気がする。
(無論、Fの大人向けのSF短編は
また別の感慨はあった)
だが、いま、中年期に差し掛かって
読み直してみると
とてつもなく面白い。
特にFの児童向け作品。
人生の半分あたりを過ぎて
ノスタルジー的に
味わっている面もあるだろうが、
現在の目・・・・・・
つまり、それなりの年数を経てきた
中年スキャナーで読んでも
ビンビン来るのだ。
いや、中年スキャナーを
通しているからこそ
よけいに響いてくるのでは
ないかと思うようになってきた。
作劇や画像とあらゆる面で
無駄のなさ加減に、舌を巻く。
Fの端正さは、
読む人によっては
淡泊な印象をもたれる場合も
あるかもしれない。
だが、端正と淡泊は違う。
Fの端正さは、
異常なまでの完成度だ。
子どもに楽しく読んでもらうために
全身全霊で端正さを造形している。
子どものことで真剣に働ける人が
本物の大人だと思う。
大人社会の価値観だけでしか
動いていない者は、未熟な大人である。
多少は表現する経験をしてきた
未熟な大人の僕は、
そのFの完成度がベラボーに高い
大人さ加減にまいってしまう。
「大長編ドラえもん のび太の宇宙小戦争」
のクライマックスのドンデン返しには
グワッと胸が熱くなった。
ちょっと前の、青年の僕なら
ここまで感動できなかったんじゃなかろうか。
年を取るということは、
つくづく味わい深いものだと思う。
亡くなる前年(だったと思う)の言葉が、すごい。
「これからは、どういうものがお描きになりたいですか?」
という質問に対して
「ドラえもんですね。
まだ、描ききったという感じがしていないんですよ。
もう、この後にはペンペン草も生えないぞと
いうぐらいまでにやり切りたいんですよ」
おそらく、いま、天国にて
F先生は新作のドラえもんを
執筆しているに違いない。